太平洋戦争期、旧日本海軍が竣工させた重装甲空母「大鳳」は、初陣にて、たった1発の魚雷がもとで沈んでしまいました。装甲は魚雷に耐えたにもかかわらず、艦内でなにが起きていたのでしょうか。「大鳳」の一部始終を追います。

■脆弱な空母を重装甲化したら…?

 空母は航空機を飛ばすのが任務ですが、そのためには航空機用燃料のガソリンやこれに搭載する爆弾なども必要です。つまり空母は、艦内に大量の「危険物」を抱え込んでいるのです。

 ところが、太平洋戦争以前の空母黎明期、航空機の航続距離は戦艦や巡洋艦の大砲の射程距離よりずっと長いので、空母そのものが最前線に出ることはあまり想定されず、充分な防御装甲は施されないのが普通でした。攻撃するリーチは長いものの、いざ攻撃を受けると脆弱な存在だったのです。

空機を運用できる巨大な攻撃力をもっていますが、やはり脆弱であることには変わりなく、護衛艦、潜水艦など多数の艦艇や航空機を配してガッチリガードされています。ミサイル防衛にも使われるイージス艦は、もともと空母護衛用に造られた艦です。

 旧日本海軍においても、飛行甲板に爆弾を1発でも受けると航空機が発着できなくなり、甲板を貫通されると致命傷になりかねない空母の脆弱性は、太平洋戦争の開戦前から認識されていました。そうしたなか、1939(昭和14)年に策定された「第4次海軍軍備充実計画」、通称「マル4計画」において、排水量2万7000トン級、防御力を大幅に強化し、飛行甲板は800kg爆弾に耐え、機関室や弾薬庫は巡洋艦の主砲弾に耐える装甲が施された「重装甲空母」が計画されました。

 これがのちの空母「大鳳(たいほう)」です。

■期待の重装甲空母、しかも美麗!

計画段階では前述のような検討がなされていた「大鳳」でしたが、設計段階において、要求仕様を満たそうとすると計画を大幅に上回る排水量4万トン以上になって、建造費用や期間も超過することが明らかになり、ややスペックダウンし3万トン級ということで建造が決定しました。

装甲は飛行甲板全部に施されたわけではなく、飛行甲板の前部と後部エレベーターのあいだの長さ150m、幅は中央部の航空機格納庫天井の20mぶんとされました。装甲は20mm高張力鋼の上に75mmのCNC(装甲用の鋼材のひとつ)装甲板を重ねた構造で、高度700mからの500kg爆弾を用いた急降下爆撃にも耐えられるとされました。

 また爆弾だけでなく、魚雷にも耐えられる工夫を行ないます。艦底の主要部を3重底にするとともに、重油タンクと空気層および装甲を組み合わせた5枚4層防御構造が導入され、TNT換算で300kg(400kg説もあり)弾頭炸薬の魚雷に耐えられるものとされました。

 もっとも、アメリカ海軍が使用していた急降下爆撃機の爆弾は545kg(1200ポンド)、MK13航空魚雷は400kgとなっており、中途半端感はぬぐえません。

 飛行甲板が装甲化され艦の重心が高くなったため、格納庫を一層減らし、飛行甲板の高さを海面から約12mに抑えました。これは「大鳳」よりも小さい「飛龍」と同レベルでした。飛行甲板が波に突っ込むことを想定し、また気流の整流を計るため風洞実験も行って、日本海軍では初めて飛行甲板と艦首が一体化した「エンクローズドバウ」という形式を採用しました。艦の全長は260.6mとなり、空母「信濃」「赤城」に次ぐ巨大さながら高さは低く抑えられ、特徴的な艦首形状もあいまって、なかなかの見目麗しさです。

 重装甲を見込まれて、ほかの空母の艦載機への補給用のガソリン、弾薬を搭載することも予定され、航空燃料は1000t(翔鶴型では496t)、爆弾は800kgが72発、500kg爆弾72発、250kgが288発、60kgが144発、91式航空魚雷改は48本搭載できましたが、これは「信濃」に次ぐ積載量の多さでした。この大量の「危険物」が「大鳳」の運命を決めることになります。

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乗りものニュース
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続く)