金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が発見されたのは、昭和8年(1933)のことだ。
北部九州を東西に横断する久大本線建設工事の最中、ダンワラ古墳の
封土の中から数点の遺物が出現したのであった。土地の所有者がこの中の
鉄のサビ固まりを近くの小学校に寄付した。
「土瓶の蓋のようににぎるところがあった」
ことから、何か参考になれば、ということだったらしい。
ところが、戦後のどさくさの中で、この鏡は行方不明となる。
ややあって、昭和35年、意外な場所で、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は「発見」される。
ひとりの京都大学の名物考古学教授U氏が、この「伝日田出土」のサビの固まりを、
奈良の古物商から買い取っている。中国の鉄鏡特有の象嵌に目を止めたのだった。
昭和37年、くだんの教授が天理大学に依頼し、研ぎだしてみると、後漢鏡であること、
鋳鉄製で、直径21.3cm、厚さ2.53mm、鏡の裏側には八匹の龍が金と銀で描かれ、
目の部分には緑色の石英がちりばめられるという至宝であった。
だが、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は不運な鏡だった。
考古学者が土中から掘り起こしたわけではなく、まして一度古物商に渡り、「伝日田出土」
と記されていたにしても、それを証明する科学的材料がそろっていなかった。
唯一の証拠は、古物商でU教授が鏡を発見したとき、石灰が付着していたこと。
鏡を譲り受けた学校では、鉄鏡を腐食防止の目的で石灰に入れていたという事実である。

つづく