「魏志倭人伝」には、倭人の葬式は、
   「棺あって槨なし。」

と、明記しているのだ。木槨のなかに木棺があったのでは、「魏志倭人伝」の記述に合っていない。
「三国志」の著者は、葬式には、関心をもっていた。  たとえば、

「韓伝」「夫余伝」では、それぞれ、「槨あって棺なし」、
「高句麗伝」では、「石を積みて封となす」、
「東沃沮伝」では、「大木の槨を作る、長さ十余丈」
などと、いちいち書きわけている。

畿内の「木槨木棺墓」も「竪穴式石室墓」も、「棺あって槨なし」にあわない。
邪馬台国が、かりに大和にあったとすれば、魏の使は、それらの葬式を見ききせずに記したのであろうか。