倭国滅亡の因は白村江での唐と戦って敗戦の憂き目を見た事
奈良は唐と内通し参戦していない
奈良に倭を倒す戦力は無かった
敗戦後唐のカクムソウが占領軍として大宰府へきた
火事場の泥棒が奈良政権
天武はカクムソウに取り入り天智の息子2名を殺し奈良を掌握した 壬申の乱
其れ迄の奈良の建築は掘立式 倭国では礎石 ここで技術の遅れが奈良にある