>>254
邪馬台国の位置を推定するには、魏志倭人伝の記述の一部ではなく包括的に検討しないといけない
邪馬台国についての主な記述をまとめるとこうなる

・30国連合の盟主の国
・戸数7万戸
・北部九州から南に水行二十日、さらに南に水行十日陸行一月
・帯方郡から12,000里
・会稽東冶の東の位置
・宮室、楼観、城柵
・従者1000人が仕える宮殿
・卑弥呼の墓が径百歩
・殉葬100人
・一大率を伊都国に置き、一大率は刺史に例えられている
・魏と外交を行う
・国名が邪馬台国の発音に近い

現在の考古学的成果をもとに、これらの記述を検証すると、九州説では一致している点がほとんどない
行程の一部である南、あるいは吉野ヶ里限定で宮室、楼観、城柵くらいしか一致するものがない

一番致命的なのは、邪馬台国が魏と外交をやっていたという記述
畿内が3世紀には中国と交流をしていたことが確実な状況なのに、魏が倭国との外交交渉の相手として
畿内を差し置いて九州の小国を選んだという話は非現実的すぎる