>>331
大雑把にと書いた通り、各区間の距離の比率から想定しただけです。
末盧国から奴国まで、北部九州の移動区間だけで600里と当時は考えられてたのに、
残り1400里じゃ中国・四国地方を超えた遥か北東の畿内には到達できないと思うけど。
魏晋里大前提にすると、そもそも九州・畿内どころか日本列島に到達しないし
短里は間違いと決めるのもどうなんだろう
比率の考え方含めて里による実証自体ができない物ってなら一旦置いときます

言葉足らずだったけど、北東方向にしたら畿内も含むのは分かってるし、
それ自体は九州説を補強すると思ってないです。
史書の記録者が日本の地形について北東と南を誤認した、
と会稽東冶の真東との整合性の観点で仮定するよりは、
史書の記載と現実のズレが少なく自然な見方じゃないかなってだけで。

「方角が正しいか、日数が正しいか不明」の2択とも限らないと思う。
さっきも書いたけど日数は社会環境・経路・状況等でどうとでも変わる。
「水行十日陸行一月」で畿内にぴたりと到着するか不明だし、
逆に移動の障害になる要件が多ければ、九州内におさまらないとも
言い切れないのでは