>>362
了解
陳寿は地理観を誤解しておらず、最初から九州を想定して魏志倭人伝を書いたという見解だね
それに沿って反論する

最初にあげてた3つのうち、里数の比率は無理筋、東の海の向こうの倭種は九州説だと考古学的事実に矛盾するから、
残ったのは「南」のみになる

では倭国を九州のみとする地理観について、魏志倭人伝との矛盾点を列挙する
1.水行二十日、さらに水行十日陸行一月と矛盾
そもそも魏志倭人伝は邪馬台国旅行記ではなく、複数ソースから書かれた調査報告書のようなもの
隋書の「倭国では距離を日をもって計る 東西五月行、南北三月行」は倭国の地理認識が修正されたものとみなせる
関東から九州までで5ヶ月と解釈できるから、九州だけなら鹿児島まででもせいぜい1ヶ月

2.会稽東冶の東と矛盾
会稽東治の東は本当は「東冶」が正しいという通説に従う
北東という詭弁をなぜ繰り返すのか理解できない
会稽東冶を位置推定の基準場所にしなければならない規則があったという証明ができない限り、
北東を東と言い張るのは、九州にこじつけるための詭弁でしかない

3.邪馬台国の戸数7万戸、倭国の戸数15万戸以上に矛盾
3韓合わせて15万戸なのに、九州だけで15万戸以上(旁国を含めると20万〜25万戸?)は逆立ちしても不可能

4.一大率が刺史の如くという記述に矛盾
刺史という例えから、陳寿は伊都国が邪馬台国から遠方にあると考えていたことがわかる
(邪馬台国が鹿児島あたりなら矛盾とは言い切れないが)

5.南方系の風土の記述と矛盾
倭国全体のことだが、冬でも生野菜を食べてたとか裸足だとかの記述は、倭国が南方まで伸びた大きな島だという地理観を
前提としない限り矛盾したものになってしまう

6.有無するところが海南島と同じという記述と矛盾
上とほぼ同じ

地理観についてだけでも、倭国を九州だけと想定するとこれだけ矛盾がある
なぜこんなに矛盾があるのに自然に見えるのか理解できない
ちなみに、話の本筋とは外れるが、考古学的事実に基づいて、魏志倭人伝の他の記述も検証すると、
九州説は矛盾だらけになってしまうのは259に書いた通り