wikiの胡蝶の夢の説明は、日本語版が秀逸
夢と現実との対立が提出されており、どちらが真実の姿か、それは問題ではなく、
胡蝶であるときは栩栩然として胡蝶になり、荘周であるときは荘周となっている。
そのいずれも真実であり、己であることに変わりはなく、どちらが真の世界であるかを論ず
るよりも、いずれをも肯定して受け容れ、それぞれの場で満足して生きればよいのである。
「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は
言っているのだ。