初期の歴史
1982年、マイクロソフトは初のスプレッドシート・プログラム「Multiplan」をリリースし、CP/Mシステムで人気を博しました。しかし、MultiplanはMS-DOSシステムでの競争に苦戦し、Lotus 1-2-3に市場シェアを奪われました。Lotus 1-2-3は1983年までにスプレッドシート・プログラムの主流となり、Multiplanとそれ以前のVisiCalcの両方を凌駕しました。[104][105]
Multiplanの市場シェア低下に対処するため、マイクロソフトは1983年に「Odyssey」というコードネームで呼ばれる新しい高度なスプレッドシート・プログラムの開発を開始しました。このプロジェクトは、設計を担当したJabe Blumenthal氏と、Multiplanの主要開発者であるDoug Klunder氏が主導しました。当初はCP/MとMS-DOSを搭載したIBM PC向けに設計されていましたが、1984年初頭にLotusがApple Macintosh向けの統合プログラム「Jazz」の開発を開始したことで、プロジェクトの焦点は変化しました。Lotus 1-2-3はIBM PC上で優位を維持しました。[106] 1984年3月、ビル・ゲイツはオデッセイの開発をMacintoshプラットフォームに切り替えました。これにはシステムの512KBメモリのサポートが必要でした。この決定によりプロジェクトは9ヶ月遅れ、その後、クランダーはレタス栽培のために一時的にマイクロソフトを離れ、その後、ワン・ラボラトリーズの元開発者であるフィリップ・フローレンスがプロジェクトを率いました。フローレンスが心臓発作を起こした後、クランダーはプロジェクトを完成させるために復帰しました。[104][105][107]