カトリックにおいて、カテキズムによって規定されている罪の種類について、物足りなさを感じる。
もし、私がカテキズムを編纂することができるのなら、パッと思いつく限りでも、以下の罪を加える。


1) 茶化すこと、故意に邪視・邪推すること、イメージをかぶせることで、他者に対して主導権を握ろうとすること

2) あらゆる当たり屋・おちょくり的な行為、マッチポンプ、あるいは積極的に被害者になろうとする行為で、他者に対して主導権を握ろうとすること

3) 当てこすりや仄めかす行為、茶々、監視態度等で、他者に対して主導権を握ろうとすること

4) 甚だしい偏見や、不信感や恐怖心で、他者に対して主導権を握ろうとすること

5) 不適正な儒教的観念に根差した、甚だしい不誠実行為

 5‐1) 細目

  A) 理性を甚だしく軽んじること。
  
   (頭ごなし的な態度全般、理性的でない意味づけと言葉の使用。)

  B) 他者の、当然の適正適当な、怒り、不満、嫌悪についても、端から不誠実な態度で、あしらうようにして応じること。

  C) 理性によらない、一般・非一般の感覚や常識や観念、貴賤や尊蔑、弱者、善人と悪人、主導権、等を規定あるいは操作し、表現し、序列を形成すること。

  D) 個別的な事柄について、適正ではない比較・対照を表現したり、評価主義を適用する行為。

   (たとえば、虐待を受けて育った人に対して、「紛争地域で死にかけている人もいる」とか「手や足がない人や難病の人もいる」とか、「孤児の人もいる」などと言ったりすることや、その逆のことなど。)

  E) 適正ではない過度な序列性重視、あるいは序列の軽視による悪平等主義。

  F) 適正ではない、適用限界を超えた努力評価主義、あるいは努力の軽視による、序列形成と主導権を握ろうとする行為。

  G) 適正ではない、適用限界を超えた責任。


6) 援用的な行為

 (弱者の権利や、思いやりの倫理・道徳、偏見や差別の根絶を、純粋にではなくて「援用」する。たとえば、障害者や女性や老人を政治的な抗議活動に利用することなど。)

7) 適正範囲内の自衛行為を否定すること、適正範囲内と偽って積極攻撃・応戦すること

8) 適性な、医療行為・向精神・向知性などの範囲を逸脱した、薬物の濫用


上に掲げたもののいくつかは、広義に拡大解釈すれば、当てはまる教条(たとえば七つの大罪の「高慢」とか「憤怒」)があるかもしれない。
しかし、キリスト教は、素晴らしいが、現状ではこの世のありとあらゆる悪(特に、いわゆる朝鮮脳、「餓鬼魂者」が引き起こす様々なケース)に、的確に対応できていないように思う。

法律が対応すべき部分と、宗教が対応すべきところの境界が難しい。7番と8番については、見ての通りこれだけちょっとカラーが違うが、迷ったけれど、境界領域として何となく加えてみた。
約10分で書いたものだから、時間をかけて研究すればもっとマシになるだろうけど、マシになったところで、何に役立つんだろうって話だよね。