昨夜のこれ好き

八重沢なとりが、身バレした。
いや、正確に言うなら、身バレをした事になった。させられた。

「何だ、これ…」
動画勢に転向してから初めて投稿された八重沢なとりの最新動画に付けられたコメント欄を見て、私は言葉を失った。
そこに書かれているコメントが、私の想像とはあまりにもかけ離れておぞましい物ばかりだったから。
売女。娼婦。裏切者。どこのアングラサイトだと言わんばかりの汚言が飛び交うその様は、今まで彼女が築き上げてきたイメージを見る影もなく貶めていく。
良くない何かが起こっていることは明白で、私はすぐにネットの海に検索をかけた。
Twitterに掲示板、動画サイトに上げられたまとめ動画。表に出ている浅い情報を拾っていくだけでも、事の経緯は何となく掴めてくる。
そして…その実態があまりにも無責任な悪意に塗れた物であるという事実に、憤りを覚えずにはいられなかった。

「よんちゃん!なに…なにあれ!何が起こってるの?ねぇ!?」

ひとしきり巡回を終えた所で、携帯に通話の連絡が入った。聞こえてきた声はねごちゃんの物で、酷く焦った様子で早口に言葉を並べ立てた。
「ねごちゃんも見ちゃったんだね、あれ」
「だって、八重沢の久しぶりの活動で…それなのに何であんな事になってるの? 炎上してるじゃん! よんちゃん、何か知ってるなら教えてよ…!」
切羽詰まった様子で彼女は私を問い詰める。お世辞にもネットや機械に強いとは言えない彼女は、きっとまだ事態を把握できずにいるのだろう。
…伝えるべきか、私は少しばかり考える。出来る事なら、彼女にはもうこれ以上ネットの悪意には触れさせたくない。
けれども表での広がりようを見るに、情報が彼女の目に飛び込んでくるのも時間の問題だろう。そう考えた私は、せめて私自身の言葉で彼女に説明する事に決めた。
「なとちゃんにさ、その、声がよく似た人の…”そーいう動画”が出回っててさ。それがあっちこっちで広まって…あの子が援交してたとか、そういう流れになってる」
電話口の向こうで、彼女が絶句するのが伝わってくる。そして、
「何それ…ちょっと、確かめてくる」
今まで聞いたこともないような怒りを含んだ口調で、ねごちゃんはそう言った。
そんな彼女の行動を、私は迷わず声を張り上げて制止する。
「見なくていい!! …私が見ておいたから、ねごちゃんは見なくていい。顔も映ってたけどあれは別人だよ。私たちの知ってるなとちゃんとは似ても似つかなかった」
「だったら何でこんな事になってるの! おかしいよ! 八重沢、何にもしてないんだよね? それなのにどうして!?」
怒りと悲しみで爆発寸前の感情をぶち撒けるようにねごちゃんは叫んだ。
八重沢なとりが傷つくのはおかしいと。こんな事は何かの間違いだと。
そんな彼女の正しい優しさを、私は裏切るような言葉しか言えなくて、自分自身に反吐が出そうになる。
「事実かどうかなんて、どうだっていいんだよ。一度”そういう事”になったらもう覆せないんだよ。私たちが抜ける時だってそうだったでしょ?」
数カ月前、私たちがアイドル部を辞める時。私たちの知らない所で、私たちの知らない事実が造られて、いつしかそれが真相になっていた。
それは違うんだと声を上げることもできなくて、ただただ自分達の交わしてきた言葉や歩んできた歴史が、全く別の物で塗り替えられていく様子を、目の当たりにするしかなかった。
「それは…」
私の言葉に彼女は閉口してしまう。それは私たちにとってあまり思い出したい記憶ではなかった。
「でも、だったらさ、会社が動くよね? 八重沢の事ちゃんと守ってくれるんだよね、ねえ…」
「…動くと思う? あの人たちが」
あの人たちは動いてはくれないだろう。手を差し伸べてはくれない。どうせいつものように口を噤んで、都合の悪い事からは目を背け続けるに違いない。
そんなマイナスの信頼だけは確信を持てるなんて、全くふざけた話だと思う。
「…あのねよんちゃん、八重沢さっきから電話に出ないんだ、メッセも既読つかない…」
「ねごちゃん落ち着こう。落ち着いて、お願い。今の私たちにできることはないよ…明日、また連絡とってみよう、ね?」
不安に怯える彼女をなだめるように、私は努めて優しい口調でそう言った。
私たちには、何もできない。けれど励ましの言葉ぐらいなら届けられるはずだ。とりあえずは明日、あの子に直接会いに行って――

その時、スマホの通知が新着のツイートを知らせた。


@八重沢なとり

さようなら


絶対に失われてはならない物が、今まさにこの瞬間砕け散ってしまった事を、私は悟った。