>>705
▼ぼくがいちばん落ち込む、人間の振る舞いというのは何か。
 あまりのミーイズムというか、ご自分では気づいていない自分中心主義、それだけなら当たり前なのでがっかりしたりはしないのですが、そのために記憶のとんでもない修正が起きて、どれだけ無茶を仰っていることに気づかない人に接したときです。
 たとえば暴力団の一員であったり、浅はかな中傷誹謗をしていたりする人よりも、むしろ社会的地位の高い立派な人に、たまに、居ます。
 ある文書を、私が主要な部分を書いたに等しいと繰り返しぼくに仰ってくる人も居ます。
 ぼくの秘書さんや、同志議員は、ぼくがぎりぎり時間を作り出して書いたことを良く知っているわけですし、その提言の中のまさしく主要な部分は、さまざまな講演会でぼくが長年、つまりずいぶんと前から明確に申しあげてきたことばかりで、
その人の主張などまったく存じあげなかったわけですが、こういう人に事実関係を指摘しても無駄です。
よけいに昂奮なさるだけです。
 かつて「ぼくらの祖国」をゴーストライターが書いたとネットで繰り返し主張している、これは匿名の人がいました。
「ぼくらの祖国」は、ぼくの生命とも言うべき根幹の書ですし、これも執筆時間の捻り出しに苦労してぼくが書いたことを身近に知っている担当編集者、現・扶桑社編集局長の田中亨さんは、涙ぐんで悔しがり、怒っていました。告発も検討が成されています。
 一方で、これはもう、ネット時代の病そのものであって、どうやってもこんなのは出てきます。社会的影響も、一定の悪影響はあるでしょうが、社会から何かの権限を付与されているわけではありません。
 ところが前述のような社会的地位の高い人だと、重大な権限を持つことがあるのです。
 これはネットとは関係ありません。
 もっと深い、人間の心の闇です。
 だれかを特に非難するのではありませぬ。ぼく自身も含めたすべての人間の浅ましさです。
 これに比べれば、戦う野獣や、じっと黙して働く機械は、どれほど天に沿っているでしょうか。
 にんげんを愛し抜くのが、不肖ながらのぼくの生き方です。
 それだけに醜さに毎日のように直面しすぎると、暮夜、機械の立てる音に慰められるわけです。ふはは。これは、ほんとうは、人間が醜いと言うよりも、ぼくの弱さですね。
 ただし夜だけです。
 朝になって光を浴びれば、もうそんなことは完全に忘れて、ただ働きます。