■楠永玉秀の謀略

 梟雄、楠永玉秀には押さえがたい野心があった。武威ノ本第3位の勢力である居戸家で家臣の筆頭人になる、いや惣領である小鯨白姫すら超えて下克上を成し遂げることだ。
 そのために彼が愛用した道具は、讒言である。
 居戸領内には全光寺と呼ばれる宗教団体が深く根を張っていた。
 信徒はもんぺ姿で自分たちを統一し、家臣を深く崇める居戸家の外交にまで口を出してきた。この武威戦国時代において勢力拡大に外交は欠かせない。
 多少問題のある相手でも、それを呑んで資源を交換するのも武略である。
 だがしかし、極端に純化された全光寺教徒は居戸家の外交戦略に異を唱え、一揆を起こした。
 これにあわてて彼らを諫めようとした居戸家の家老、馬場阿茶局は政治に疎い傾奇者ゆえ口を滑らせ「もんぺ姿の狂信者」と言い放ってしまった。
 失言に騒擾は拡大した。その裏には、もんぺ姿に扮していそいそと全光寺に潜入する楠永玉秀の暗躍があったという。
 たまらず馬場阿茶局は隠居を余儀なくされた。
 また楠永玉秀は家中でも讒言を行い家臣を2名ほど隠居させた疑いが後世もたれている。
 居戸家の力を削いだ楠永玉秀は次いで、他の家臣の茶会の翌日、能舞台の前日に、辻説法を行い、涙ながらに自分が居戸家に尽くしながら不遇の扱いを受けており、まったく報われないことを訴えた。
 領主への不信が蓄積し、全光寺勢力も意気軒昂だったところに、これは効果覿面であり、領民はたちまち真っ二つに割れた。武威ノ本各地で家政の失敗があいついでいた時流もあった。
 楠永玉秀は南蛮商人カルロス・某に情報を握らせ、舶来品と同時に風説を流布 させた。
 ここで、かねてより楠永玉秀への疑惑を強めていた桜桃みやこ、虫愛軽路、古田三目の居戸三人衆が決起、楠永玉秀と合戦に及び、宗教施設でもあった居戸家の本拠は激しく炎上した。
 爆発的な上昇気流に火の粉は高く舞い上がり、他家を恐れ慄かせた
 楠永玉秀は得意の変装をもちいて一揆の中に何食わぬ顔で潜り込み、主家への不満を煽ることで多くの領民を味方につけた。
 そして内乱に荒廃する居戸家を尻目に家臣の一人を誘って出奔、民衆の判官贔屓と以前の人脈を活かして勢力を急速に拡大していった。
 彼の誤算は居戸家が内乱の勢いのまま滅びず、騒乱の記憶が失われなかったことであろう。滅んだ居戸家を吸収する梟雄の目論見は頓挫した。
 これは居戸家の家臣、鈴木神楽が連日にわたる鉄砲の三段撃ちで前線を支え、意気消沈していた他の家臣が復帰するまで戦線を支えていたことが大きい。
 滅びなかった旧主家に対して楠永玉秀は初心の讒言を忘れず、ついでに新しく関わりをもった他の家中へも讒言を市中に振りまいた。自画自賛を交えながら。
 ここに一人の剣聖が登場する。目にも留まらぬ二連続の抜刀術を得意とする彼は楠永の行状を疑い、仲間と共に調査を繰り返していた。
 ある日、楠永を訪れた剣聖は得意の抜刀術を披露することになり、古着を着せられた巻き藁相手に抜いた。
 「……ふぅ!」
 抜刀の二撃が着物を十字に切り裂き、トドメの突きが古着の背中を突き抜けた。その切っ先には何やら札がついていた。
 「呉服屋帳面屋お得意様 楠永玉秀殿 納入先土倉住所○○○ ○○○ ○○○ ○○○」
 「ややっ!こ、これは……!?」
 その土倉は繰り返し扇動や讒言を行う者が変装の服を着て出てくることで仲間内に注目されていた土倉であった。無数にある土倉の住所が偶然一致することは考えがたい。
 少なくとも楠永家中の者が謀略に関わっていることは確実であった。
 剣聖は「であえであえ!」する楠永玉秀の前から血路を切り開き、市中に証拠の品を晒した。自らのしたことの大きさに改めて震えながら。
 楠永玉秀は謀略への関わりを否定したものの、その理路は整然とせず、急速に求心力を失っていった。
 逼塞を余儀なくされた彼は、しかし、まだ諦めていなかった。
 「こんなこともあろうかと東の幌生家とはよしみを通じておる。今度は飛ぶ鳥を落とす勢いの幌生家と結ぶことで成り上がってくれるわ!」
 楠永玉秀がその後、幌生家をも裏切り、壷に火薬を詰めて自爆するのは、また別の話である。