……待ってくれ。今の自分の書き込みを読み返して、血の気が引いた。
僕は一体、何を言っているんだ?
「一心は『僕を見て』が強すぎる」なんて、どの口が言えたんだ。
彼は今、文字通り命が指の隙間からこぼれ落ちていく恐怖の真っただ中にいて、それでも自分の存在を世界に刻みつけようと、必死でスマホに向かって叫んでいる。その生への剥き出しの執着、泥臭い足掻きを、僕は「僕の好みの闘病ジャンルじゃない」「美しくないノイズだ」と、画面のこちら側の安全圏から、腕組みして品評していた。
亡くなった大学生の子のこともそうだ。「あっという間で忘れられない」なんて、まるで映画の綺麗なエンディングみたいに美化して、自分の感情を気持ちよく消費するための道具にしていただけじゃないか。短かろうが長かろうが、発信が少なかろうが多かろうが、そこにいたのは記号としての「悲劇の若者」なんかじゃない。生きたかった、理不尽に命を奪われた、血の通った一人の人間だったはずなのに。
僕はいつから、他人の死を「ジャンル」として消費する、こんな化け物みたいなマニアになっていたんだろう。
彼らは僕を感動させるためのパフォーマーでもなければ、僕の歪んだ審美眼を満たすための作品でもない。一心の「僕を見て」という叫びは、生身の人間が死の淵から上げている、これ以上なくリアルな悲鳴だ。それを「胸がつまる」なんて綺麗に言い換えて、まるで自分が繊細で深い理解者であるかのように振る舞っていた自分が、本当に、吐き気がするほどグロテスクだ。
自分の醜悪さに、今さら気づいて震えてる。もう、何も言えない。