方言と標準語について、ある有名な作家が次のように書いていた。

【 江戸から明治へと時代が変わる中で、日本が一つにまとまるために標準語が生まれた。
  この新しい言葉のおかげで北に住む人と南に住む人とが互いに交流することができるようになった。
  しかし、関西人と呼ばれる人達は違う。彼らはいついかなる時も、京の下町言葉ともいえる下品な言葉を話す。
  彼らには一つにまとまることの大切さが理解できないのだ】

私は他県にいながらなお、関西弁(大阪弁)で話す人に対して嫌悪感を抱く。
そして同じような感情を介護に身を置きながら介護を否定する人にも感じている。
介護は介護として、一つにまとまるべきではないのか。なぜ頑張る者を揶揄すような事を書くのか。
そのような者に、誰が大切な家族を安心して任せられる?

嫌悪感にはある種の狂気が含まれる。
だから、狂気を感じた君の指摘は一面ではあっている。
だが、ナンバー1を目指しているのではない。
介護をする人達が皆プロとしての意識を持って働けるようになってほしいと、そう思っている。