そのあたりは、九州方言成立の歴史に迫るような話になるなあ。

もしも東京式と一型あるいは二型が宮崎県内あるいは宮崎・大分間で前線を作っていたとすると、過去のある時点で南西九州/北東九州で二分するような方言圏があったのではないかということになる。