宮崎での助詞「ち」は「て」が口蓋化した「ちぇ」であったため、口蓋化しなくなった若い世代は
自然と「て」と発音するようになった。口蓋性が残る高齢層のみが今でも「ちぇ/ち」を使う。

大分での助詞「ち」は「て」が口蓋化した「ちぇ」にe→iの母音交替が起こり、
口蓋化した「ちぇ」でもない、五十音タ行の「ち(てぃ)」でもない、これ専用の「ち」が生まれた。
口蓋化しなくなっても助詞「て」に相当する「ち」は本来の「て」に戻れずに一人歩きを始め、
今でも全世代で「て」→「ち」への変化が継承されている。

・・・と考えるのがもっとも矛盾が少ない説明になるのかな。