http://pj.ninjal.ac.jp/shutoken/pdf/5-2_1302_02.pdf
首都圏方言の形成と共通語化 久野 マリ子(國學院大學)
http://pj.ninjal.ac.jp/shutoken/pdf/5-2_1302_04.pdf
講演】私のとらえたい東京語1 飛田 良文(国立国語研究所名誉所員)
http://pj.ninjal.ac.jp/shutoken/pdf/5-2_1302_03.pdf
「首都圏の言語」をめぐる概念と用語に関して*鑓水 兼貴(国立国語研究所)

などを参照すると、「東京語」や「東京方言」、「首都圏の言語」、「標準語」
特に久野氏が引用する(田中ゆかり(2010)『首都圏における言語動態の研究』笠間書院)
「終戦後までに言語形成期を終えた東京市生育の話者なら、
自分のことばと標準語、共通語とは違うと自覚している話し手がたくさんいた。
しかし、今では、伝伝統的な東京方言の単語でも自分が使わなければ方言、
自分が使えば共通語と意識している若年層が増えている」

ことを踏まえれば、実用的な定義が可能な範囲内で「標準語」を使うべきであり、
無自覚な使用は、新たな言語差別主義者の誕生を手助けする危険な行為だと考えます。

言語だから一義的に定義できないのはもちろんですが、
「自分が話す言葉が『標準語』」という意識の方々が、東京近辺に
少なからずおられ、その方々が、語彙が共通語でも、
自身のアクセントと違う発音をすれば「訛ってるよ」とおっしゃるのは
受け入れられません。

もちろんゆらぎはあります。「乳」と「父」を言い分けるのか分けないのか。
2003年ごろからはじまった、一部のメディアで、「従兄弟姉妹」の「いとこ」を
頭高に矯正する動き、など、どれを標準語とするのか、
それぞれの論者がどの範囲を「標準語」と言っているのか、
「事実上の標準語」が人によって異なるなら、形容矛盾であり、
論理的な対話は成立しないと思います。