終わりの始まり


不動産バブルが起こっていたことは明らかなので、公定歩合を引き上げた日銀の対応は正しかったが、それもすぐきいたわけではない。日銀が公定歩合を上げても、地価も株価も上がり続けた。
1990年初めからの下げも、当初は一時的な調整だと思われていた。その流れを変えたのが、1990年3月に大蔵省の出した不動産融資の総量規制だった。

だがこれは結果論である。当時の新聞論調は「地価バブルを完全につぶそう」(朝日)、「居座り許せぬバブル地価」(毎日)、「地価対策の手綱を緩めるな」(読売)、「地価は落ち着いても楽観できない」(日経)という感じだった。
NHKもバブルつぶしのキャンペーンを張ったが、誰もバブルがあれほど一挙に崩壊するとは思わなかった。