探検


関西弁とは何だったのか

1名無す
垢版 |
2026/09/14(月) 21:31:17.49ID:7NR3/1Zt
これ
2名無す
垢版 |
2026/09/15(火) 09:27:36.79ID:BBzU1Da8
昭和二十年、ビルマの密林は、生と死の境界線を曖昧にするほど深い緑と泥に覆われていた。

大東亜戦争において、大阪編成の第四師団は、いわゆる“贅六”の弱兵部隊として知られていた。しかし、今このビルマの地で、白骨街道の地獄を這いずり回っているのは、同じ第四師団から抽出され、後に独立混成旅団へと組み込まれた和歌山第六十一連隊の生き残りたちであった。彼らもまた、イギリス軍の圧倒的な火力の前に戦功ゼロのまま潰走し、文字通りの壊滅危機に瀕していた。
戦う前から戦力外と囁かれ、フィリピンでも予備隊に回されていた大阪編成の不甲斐なさを背負わされた若者たちは、北関東の兵たちに文字通りケツを拭いてもらいながら、白骨街道を命からがら脱出していく。

宇都宮第三十三師団、通称弓兵団の兵士たちは、群馬、栃木、福島の北関東から集った、粘り強く寡黙な男たちである。
アメリカ陸軍の軍事広報部がのちに『インテリジェンス・ブレティン』で「夜間に完全包囲されても、大きな損害を出さずに撤退する超人的な後衛能力」と評することになる彼らは、このビルマ戦線において、味方を逃がすための「殿(しんがり)」、すなわち最も危険な泥泥の盾として機能していた。

「祭の京都も、烈の奈良も、和歌山も、ここで死んだら故郷の敷居は跨げねえんだ。さっさと行け!」

その言葉は、のちに形を変えて、遠い戦後の記憶へと繋がっていく。

時代は流れ、令和。
東大阪市の朝鮮寺近くの古いアパートに、朴虎吉という七十八歳の老人が住んでいた。
片足が不自由で、普段は杖を突きながら、四六時中インターネットの掲示板やSNSを眺めている。
彼は偏屈な老人だった。
虎吉は、近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一が大嫌いだった。
テレビで新紙幣の顔として渋沢が映るたび、杖で床を激しく叩いた。

「関東人が関西を救ったことなんて一度もないんや! 阪急作った小林一三の足元にも及ばんわ! 渋沢とかいうアホがいっちょ噛みにきたことだけが、あいつらの唯一の誇りらしいな。アホらし!」

虎吉はスマートフォンの画面に、自分の歪んだ郷土愛をぶつけるようにそう書き込んだ。
関東に対する、激しい劣等感の裏返しのような憎悪。

「和歌山も、もうちょっとシャキッと戦わんかい、ダボが!」

東大阪の狭い部屋に、老人の怒号と、八十年前のビルマの泥の記憶が、静かに交錯していた。
虎吉は独りごちて、痛む片足をさすりながら、今夜も関東への次なる反撃のネタを探すために、歴史サイトを巡回し始めるのだった。
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況