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【平成の記憶】55年体制崩壊以降の政権を振り返る

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1名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/10(土) 23:06:48.38ID:s2Gg0sXr
平成の始まり――
昭和が終わり平成がはじまる頃、
リクルート疑惑や消費税導入により世論の政治への不満は相当に高まっていた。

1993年、内閣不信任案に自民党を離党した武村正義、小沢一郎、細川護熙などの一派が
賛成に回り不信任案は可決、解散総選挙へ。
その結果自民党は過半数を割り込み下野、非自民による政権交代が起こった。
2名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/10(土) 23:08:19.86ID:s2Gg0sXr
自民党も過半数を割ったが、社会党も議席を減らした――
この総選挙では社会党も議席を減らしていたのである。
55年体制による自民・社会両党の馴れ合い政治に対する拒絶感の受け皿として、
細川護熙率いる日本新党が躍進していた。
そして細川護熙を中心に非自民党勢力がまとまり、8党派による連立政権が誕生した。
3名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/10(土) 23:08:52.71ID:s2Gg0sXr
日本新党の細川率いる8党派連立内閣だったが、第一党は社会党であった。
自衛隊の立ち位置をめぐる対立など連立内はまとまらず、
また細川自身に佐川急便からの借り入れ金問題などが発覚し、求心力がすぐに低下。
1年もしないうちに内閣総辞職に追い込まれて退陣した。
なお細川のスキャンダル追及の急先鋒に立ったのは下野していた自民党の野中広務である。
一方、55年体制崩壊後の非自民側の主導権は小沢一郎が握っており、
小泉政権が誕生するまでの政権は、小沢と野中の戦いの中で生まれたものと言えるだろう。
4名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/10(土) 23:09:27.61ID:s2Gg0sXr
細川護熙の後釜として、小沢一郎は羽田孜を総理に立てるが、
なんと首班指名をしておきながら社会党が連立を離脱。
羽田孜内閣は過半数割れの少数与党として出発することになった。
いつでも不信任決議案が通ってしまう状態の内閣であり、案の定2か月ほどで総辞職に追い込まれた。
5名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/10(土) 23:44:17.01ID:s2Gg0sXr
羽田内閣が倒れると、どうしても政権に復帰したい自民党は、
なんと社会党との連立政権の樹立に動く。戦後最大の野合である。

当時の森喜朗幹事長は、党内の意思の統一をはかることなく、
総理は社会党の委員長でかまわないと社会党側に打診。
自民党内は連立賛成派と反対派に割れた。
それをひとつにまとめあげたのはやはり野中広務である。
「首班指名に村山富市とは書けないよ」と亀井静香ら多くの大物議員が恨み節を言う中、
政権に復帰するためだと説き伏せて回った。

首班指名を経て村山総理が誕生した。

所信表明演説の日、自衛隊の容認など、
それまでの社会党との主義主張とはまったく転換した内容が書かれた原稿を村山総理は下読みしていた。
その目は赤く潤んでいるように見えたというのは、同席していた野中による後日談である。
6名無しサンプリング@48kHz
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2023/06/11(日) 19:24:45.90ID:HeBqR2VD
自民党と社会党が組んだ村山内閣。
実はもうひとつ、新党さきがけという党が連立に加わっており、
「自社さ政権」と呼ばれていた。

この新党さきがけという党、自民党を離党した武村正義が若手の鳩山由紀夫らと10人で結成した党である。のちに社会党や社民連などの議員も参加した。

村山内閣が倒れると、武村正義と村山富市、土井たか子らロートル実力者は、
さきがけと社会党(社民党)の合併を画策するが、
鳩山由紀夫や菅直人らはこれに反対し、独自に新党(民主党)を結成する流れになっていく。

政界で何度も繰り返される世代交代劇である。
その民主党が政権取るまではその後13年もの年月を要することになる。

55年体制崩壊後の激しい政界再編の中でイニシアチブを握っており、
細川〜羽田〜村山〜橋本内閣と、まったく方向性の違う政権にずっと連立し続けた新党さきがけ。

政策の伴わないただの数合わせ政党とみられても仕方なく、離合集散期の徒花といえましょう。
7名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/02(日) 19:12:32.93ID:3z+rTmOC
平成も遠くになりにけり
8名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/24(月) 12:57:43.61ID:a5uZ9Ipp
さて社会党の悲願であった総理の座に村山富市がついたわけだが、
やってることは、自衛隊容認、日米安保堅持など、自民党の政策そのものであり、
在任中に起きた阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などでの危機管理能力のなさを非難され、
年が明けた1996年1月、記者の前で疲れた表情を浮かべながら「総理を辞任したい」と言い、唐突な幕引きとなった。

後任は橋本龍太郎。これで自民党が総理のポストを回復。
非自民の細川総理誕生からわずか2年半ほどで結局は総理が自民党に戻る。

ただしこの時点では自民党は単独過半数を持っていないため、
引き続き、社民党とさきがけとの連立内閣となり、菅直人などが入閣。
9名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/24(月) 13:18:04.56ID:a5uZ9Ipp
橋本総理は当面の課題にメドがついたとして、就任から9ヶ月目に衆議院を解散した。

その結果、自民党は議席を伸ばしたが、単独過半数までは10人ほど足らず、
単独では少数与党の状態であったため、引き続き、社民党とさきがけと連立した。

なおこの選挙では小沢の新進党が第2党、菅・鳩山の民主党が第3党、
社民党にいたっては負けがひどく共産党にも抜かれて第5党に転落した。

さてここで野中広務が考えたことは、新進党内の元自民党議員の引き抜きである。
新進党から議員を自民党に引っこ抜いてきて、単独過半数を実現する工作を続けた。

すでに世論は、細川政権誕生のような「非自民政権」への熱狂は薄れており、
野中は「新進党に居たって冷や飯食いだし、次の選挙の保証もないだろ」などと、
新進党議員の不安をたくみに煽り、自民党へ復党させていった。

その結果、自民党は過半数を回復し、社民党とさきがけを追い出して、単独政権となった。
10名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/24(月) 13:38:52.15ID:a5uZ9Ipp
自民党の単独過半数政権となった橋本内閣だが、
消費税率を5%に上げたことや、
急速な金融グローバル化の波に飲まれて破綻した山一證券や拓銀などの件もあり、
1998年夏の参議院選挙では惨敗し、総辞職した。

後任は橋龍と同じ派閥、平成研究会(旧竹下派)から小渕恵三。
「新しい元号は平成であります」「冷めたピザ」などで知られる。

55年体制崩壊以降の政界は、ここまでは結局のところ旧竹下派(金丸〜竹下〜小沢の派閥)の人間が大半を動かしていた。

小沢一郎、野中広務、
総理になった羽田孜、橋龍、小渕、
のちの森内閣樹立のキーマンとなった青木幹雄など、みな平成研究会とその出身者である。

余談だが、金丸の長男と竹下登の長女は夫婦であり、
竹下の弟(竹下亘)の妻と小沢一郎の妻は姉妹であり、
要するに金丸家〜竹下家〜小沢家は血族ではないが、政略結婚によって親族である。

北川景子と小沢一郎は親戚ということになる。
11名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/24(月) 14:36:45.79ID:a5uZ9Ipp
衆議院では自民党が単独過半数を得ていたが、
先の参議院で大敗したため、参議院では過半数を得ておらず、
ねじれ状態となったまま1998年7月に発足した小渕内閣。

官房長官には平成研究会の盟友でもある野中広務がついた。

野中の仕事は常に多数派工作である。
とにかく参議院で連立相手を探し、過半数を得ることである。

野中広務が目をつけたのはまとまった議員を持っていた公明党である。
公明党に打診したところ、
「うちは小沢さんの党としか連立したことがないので、自民党とは難しい」
との返事を得たため、
野中はそれならまず小沢の自由党との連立するのが先か、と思い
かつては平成研究会の仲間であり、今は裏切り者の小沢に連立を打診した。
野中といえば数のためなら社会党とも寝る男であり、相手は選ばない。

小沢は当初困惑したものの、自由党の政策は飲むと野中に説得され、
「政策が実現できるなら、自由党が政権を取ったも同義」と小沢は納得し、
「自自連立」が誕生。
しかしこれは、公明党の呼び水のための前段階の連立であり、
野中の頭の中には小沢の言い分など聞く気はさらさらなかったようである。
12名無しサンプリング@48kHz
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2023/07/24(月) 21:24:55.74ID:uhCzNKit
自自連立内閣を実現した野中は再度公明党に連立入りを打診した。
「こっちにはもう小沢もいるし、断る理由はないんじゃないか」
こうして公明党が連立に加わり、自自公連立政権を樹立した。

野中としては、当初の目的である公明党と連立でき、うまくいったとほくそ笑んでいた。
ここまでの小沢・野中の勝負は、野中の勝ちであった。
そんな野中も、数年後の小泉フィーバーの波に飲み込まれ存在感も影響力も失うことになるのだが…。

小渕内閣は公明党の政策を取り入れつつ運営されていたものの、
小沢自由党の政策はいっこうに実行しなかった。

小沢は小渕・野中に足場にされていたことに気づき激怒、
2000年4月1日、自由党は連立からの離脱を表明した。
同日、小渕総理は記者からその件についてコメントを求められるが、
すぐに言葉を発することができなかったという有名なシーンがある。
翌日、小渕は脳梗塞に倒れ、そのまま急死する。

まったく意外な形で小渕政権が終わってしまい、
急遽、後任の総理は清和会の森喜朗に決まった。

橋本〜小渕と続いた平成研究会の支配も終わった。
森以降は、小泉〜安倍(一次)〜福田と、清和会の政権が続くことになる。
13名無しサンプリング@48kHz
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2023/09/02(土) 19:03:36.12ID:7ryO31xM
細川内閣が潰れそうになったとき、
小沢一郎は自民党の渡辺美智雄に、
「派閥ごとまとめて離党してこっちに来てくれるなら、渡辺さんが総理だ」
と口説くも失敗したんだよな
14名無しサンプリング@48kHz
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2023/09/18(月) 17:43:07.14ID:isbNsjq3
「2023年の今、55年体制はまだ終わっていない!」

日本というのは憲法で「戦争放棄」を謳っている稀有な国である。
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