紅蓮の後半辺りからシナリオでフォーカスするものの対象が組織とか大まかな流れから個人にスポットを当ててその人物の心象からヒカセンたちと関わってどう変わっていくかって流れに分岐したから群像劇とか好きな人には向いてなかったのかもな。
その石川流の流れをヴォイド編はゼロを使ってうまく継承してたけど黄金で何を見せたいのかよくわからんぐちゃぐちゃな話になって一気にゴミ化したんだよな、それを軌道修正してオリジナルスフェーン使ってまた本来の個のフォーカスの流れに戻そうとした。